2016年10月08日

漂白された「正しいこと」を求める人たち

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大人になっても愛情や承認を渇望し続ける人間は
どうすればそれらを得ることができるか
おそらく今でも分からない人間であり、
多感な頃、欲しい分だけ受け取れなかった人間である。
だから、世の中で認められるために、
わかりやすく「道徳的に正しいこと」をする。

愛が欲しくて得られる方法がわからなくて
「正しいこと」に一生懸命になる。
そのうち、「正しいこと」をしてないのに
愛されたり認められてる人が目に入ってくる。
イライラする。
自分はこんなに正しいことを頑張っているのに
あいつは自分より正しいことを頑張ってないのに
なぜ?
自分より可愛くないのに
自分より優れてないのに。

そうして他人に嫉妬と憎悪を向けて、
その分、さらに優れていようとして
自分に対するハードルを高くする。
だけど今度はハードルが上げすぎて、
自分で自分をも認められなくなる。
調子悪いときも疲れているときも
ハードルを超えたがるから。
それで自分を許せなくなる。
自分の定規で他人を測って、
そして他人も許せなくなる。
そのうち逃げていい理由を探しはじめ、
それで自分はダメな人間だと思いこんだり
これで良かったんだと思いこんだりする。

結局、自分に対する要求を満たせなくて
いつもイライラしている。
いつも自分はダメだと思っている。
自分で設定したはずのハードルに打ちのめされる。

自分を許せない人は
自分に怒りを向けている。
他人だって自分を許せないと思いこんでいる。
自分より愛される人間というモノは
自分より優れていなければならないと信じている。
そうでないものは「不当なもの」。
その定規、ハードルを持っている限り、
他人とも仲良くできない。


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2016年08月29日

いつも自分に足りないものがある

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いろいろとストレスがかかるのは
役者としても脚本書く人間としても重要なこと。
「なんでだろう?」をたくさん考えるから。
その時苦しかろうが、
そこで掴みとった答えが
あとで自分の力になる。

いま持っている能力は常に足りない。
延ばし続けたとしても寿命が足りない。
だからずっと戦い。表現は。
だから戦わなくなったら終わり。

楽な方を選んだら終わり。

posted by ちゃぼ at 22:12| 東京 ☀| Comment(0) | 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月24日

本気でやりたいことなのに

思いっきり何かをやる、というのは
意外と難しいものだと感じている。
みんな思い切りやりたいはずなのに
なぜかそれができない。
でもどこか自分は思い切りやれると信じている。
だったら信じた物を形にする
方法を探さないと。
やりたいことなのに
いつまでも本気を出せずに終わる。
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2016年08月08日

焼け石に、水

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コンプレックスとは
自分の体に縛り付けられた、
焼けた石のようなものである。

熱くて苦しくて、どうにか体を冷ましたい。
そこでみんな山に登る。
山の上は気温が低くて、石も冷めるらしい。
上の方の、涼しい場所を目指して登る。

途中に水を持った人がいた。
あまり苦労しなくても手に入る、水を持った人が。
その人に優しくすれば、体を冷やす水が手に入る。
水の味を覚える。
よく見るとこの階層には何人か水を持っている人がいる。
優しくしよう。
少しでも長く熱さを忘れられる沢山の水を持った人に。

やがて山を見上げると苦労して登った人たちが涼んでいる。
どうやら上にはたくさんの宝物があるらしい。
みんな楽しそうだ。
背中の石が熱い。水がないと火傷してしまう。
ここから上に登るのはつらい。

・・・

上になんか登りたいとは思わない。
登る必要はないんだ、水さえあれば。
そうだ、もともと上に登る理由なんかない。
熱いのは耐えられるし、水があればなんとかなるし。

ところで。
水を持ったあの人は、明日どこかに旅立つらしい。
どうしよう。
今度はどの人にしようか。

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2016年07月10日

風の前の塵

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祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす
驕れる者久しからず ただ春の夜の夢の如し
猛き人もついには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ。

豊かになることで人間は満たされて
欲望が弱くなり、比例して生命力が弱くなる。
豊かになることで、面倒なことは
他人や科学に任せ、楽をするために
体力も判断力も弱くなる。
あらゆる事態に対処できなくなっていく。
これは物理的な法則なのだと思う。

人間も増えすぎると、これ以上増えなくなっていく。
そのトリガーが「豊かになること」だと思う。
先進国は軒並み出生率が下がっている。

自由に生きる、
ということは制約に捕らわれない。
他者に貢献する、ということにさえ縛られない。
自分の人生を優先する。
豊かになると、それが加速する。
生存はすでに保証されていると感じているから、
そこに懸命になる必要がないのだろう。

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2016年06月04日

炎上の裏側にあるもの

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SNSの利用者が増えて、
炎上という現象も頻繁に起こるようになった。

あるひとつの出来事に対して、
勿論、本気で怒っている人間はある一定数いる。
しかしそれに付随して集まってくるのは
世間的に「悪い」「間違った」事をしたと認識される人間を攻撃することによって、
己の正義を誇示することに酔う人。
その相手は自分より下だと。
相手が自分よりも上だという劣等感が持っているほど満足が得られる。
逆に劣等感の薄い人間は、誰かを責めることについて
それで得られる満足が少ないので、あまり興味がない。

動物は生まれた時から本能によって生きることに執着できるが、
知恵を持ってしまった人間は、
生きるための理由が必要になってしまった。
自分の存在を肯定するために
「生きていていいんだ」という
自分に対する自分自身の証明が必要である。
海外ではその証明は「神」に任されているが、
日本は無宗教者が多いので「自分」で証明しなければならない。

だから日本人に多く見られる図式は
人よりも優れている=価値がある=生きていていい。
けど自分が優れていることを示したくても、
人権意識が高まり、人間皆平等、
人の優劣を簡単に口にすることが許されない社会の中で、
どこでその願望を叶えるか?

人より優れた存在でいたいということは
自分より劣る存在を望むことによく似ている。


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2016年05月22日

死について

このところ、よく名前を知っている方が
続けざまになくなって
だいたい芝居関係だったりするんだけど
でも毎日たくさんの人がなくなっていて、
結局自分になんらか紐づいた人しか
それを知ることはできない。
当たり前の事だけど。人間って、
知らない人が何してても知覚できないので
自分に関係ある人としか付き合えないし
そういうせまい範囲で生きているんだなと思う。
漠然と、世界のすべての人々へ、
みたいな包括した認識はできるのだけど。
だからなんだということもないけど
ふとそう思った。

人が死ぬということは
それはもうデリケートなことで、
自分が死ぬとなれば
大騒ぎしたり悲観したりするのだと思うけど
必ず訪れる出来事でもある。

そして出来る限り死を遠ざけるのが若さである。
だから死を忌避するのは、生きていくためには正しい。
しかし世の中には最近、終活という言葉があるが、
歳をとるごとに、おだやかに死を受け入れられるように
なっていくのが、幕引きに大切な要素なのだろう。

生きることに意味をつけるのは自分である。
だから別にどんな生き方をしてもいい。
社会で生きるからには、それに適合していなければ
行きづらくなるだろうが、それも自分が選び
後悔しないのならいいだろう。
まあ他人を傷つけるとかそういうことは
道徳的に認めるわけにはいかないけど。

どんなくだらないことでも
「これが好きだ」と言えるものがあって、
熱中できるものがある、ということは
幸せなことだと思う。それが生きがいに繋がる。

生きて、死ぬ、この短い人生の器になにを盛るか
そこそこ大人になったら考えなければならない。
衝動の強い若者はそれに従うしか術がなくても
そのまま変わらず生きていくと、
年と共に衝動がおさまってきた時
自分の生き方に後悔することになる。

んん、
ただの思ったことの羅列だな。
まあそういうのもいいか。

それにしても、
自分の思い出にいる人が亡くなるというのは
やはり人生の中でなにかを失った、
という気持ちになる。
そして、自分も死ぬときは、
誰かにそう思ってもらえるのがいいなと思う。

まあたとえ誰に思ってもらえなくても
見方によっては死の意味は大して変わりはしない。
人類はじまってから大した時間は経ってなくて
これまで幾億と失われてきた命のひとつというだけだ。
その中には残酷なものも
誰にも知られないものもいくつもあっただろう。
それでも等しく死である。

そういうものすべてに対して祈る、
という時間は、あってもいいのかもしれない。

焼きそば作ります。

posted by ちゃぼ at 18:41| 東京 ☀| Comment(0) | 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月24日

足りないものを何で埋めるか

言葉とは本当に難しいものだ。
文字だけで伝わるものは少ない。
確定した情報が欲しい現代では、
文字だけで理解したことにし、判断を下しがちだ。
が、たとえ実際に合って会話してもすべては伝わらない。
いつだって情報というものは
100%の真実にはならないのである。

本当らしい可能性を持った情報の足りない部分を
思い込みや、他人の判断で埋めると
それが間違っていた時に後悔しやすい。

足りない部分は信用で埋める。
信じるのは自分だから。
きちんとこうしようと思って決める。

そうやって情報は峻別する。
情報が轟々と渦巻く時代でも流されない。

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2015年12月20日

きらわれるということ

好き嫌いは感覚的なものである。
基本的に人は、自分の好き、嫌いに主観で理由をつける。
だからその人の理由が客観的に正しいとは限らない。

あの人には能力がない、と言う裏には
あの人は自分を軽く見ている、
という認識が隠されていることがある。
または、逆にあの人は自分を嫌っている、
という認識だったりすることもある。
(当人がどう思っているかとは別に)
なのに違う理由をつけてなじったりする。

そういう場合、どんなに相手が自分をきらいでも
「自分がわるくない」ということがある。
そしたらそれはそういうものだと思うしかない。
きらわれること=自分が悪では必ずしもない。

きらわれないことに固執すると自分を見失い、
余計に良い状態から遠ざってしまう。
もちろん悪いところがある時は
ちゃんと直さなければならないけれど。

一人前の役者は、役を演じた時に「この人、こんな人なんだ」と
まわりから思い込まれることも仕事に入っている。
自分のイメージを気にせず生きる人種というのは
どこか変わったところがある。それで役者は一癖ある人が多い。

posted by ちゃぼ at 21:48| 東京 ☁| Comment(0) | 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月06日

自分の信念を他人に強制することについて

何をもって正義と呼ぶか。
“自分及び自分の属する集団にとって正義”であっても
当然、他者にとってはそうではないことがある。

正義とは基本的に主観的なものだ。
人は正義を行おうとするとき、
「これが正しいからやろう」と信じているが
他者を自分の正義で裁くのは不遜な行為である。
自分が正しいと思う事を押し付けるのだから
そこには当然“あなたが間違っている”という意味も含まれる。

それを強行しようというのなら
納得できる理論、またはメリットを提示するか、
相手の正義をこちらが実行したときに被るデメリットに対して
責任と覚悟を持つべきである。

せめて覚悟があれば
その決断だけは尊重できる事もあるだろうが
責任は取れない、だけど言いたい、やりたい
は、子どもの理屈であり、相手にする価値がない。


人間関係においても、仕事や企画にしても、思想や哲学にしても。

posted by ちゃぼ at 08:29| 東京 ☁| Comment(0) | 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月10日

誰が変わったのか

10〜20年くらい前は、
価値観や先入観で凝り固まった人が多くて、
その中では俺はリベラルな思想を持った側だった。
「こうしたらいいと思う」と自分の考えを伝えた時、
みんなは鼻で笑った。ところが現在ではみんなそうしていて、
今では彼らは、そうしない少数の人たちを鼻で笑っている。
最近では決め事に縛られるのがいやな人が増えて、
今度はその中で、俺は保守的な思想を持っている側になった。

変わったのは誰か?

posted by ちゃぼ at 20:43| 東京 ☁| Comment(0) | 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月17日

締切前にならないと本気を出せないのは一種の破壊プログラムである

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雨すごかった。
防水の靴が濡れてしまうくらい。
このくらい、こないだの水害とは比べるべくもないのだけど。

異常気象は人間の自然破壊行為のせいだと思われている。
もちろんそうかもしれない。
そうじゃないとしてもそう考える方が道徳的だし。
でも地球だって46億年も存在していれば、
ほんの一時、数百年くらいは不機嫌なこともある。

そもそも人間は、自然から生まれているので
人間が生活の過程で環境を破壊をしたって、
それは自然の一部なのだろうと思う。
それで地球が滅びるなら、それも自然の運行の一部。
生きて死ぬ。それだけだ。
人間が今この時にどんなつもりで生きていても
現在の行動でたとえ未来の人類が生き延びる期間が短くなっても、
多くの人間はいま最大の得をしようとして生きる。
そういうものだ。
絶滅したら絶滅した時。
どちらにしても人間が地球を滅ぼさなくても
いつかは星の寿命で滅びる。

どれか一つの種族が、
長く食物連鎖の頂点に君臨するとはそういうことだ。

おそらく締め切り前の作家みたいに、
目の前に肌で感じる危機が迫らないと、
人類は手を打つことができないし、
意志統一ができる時は手遅れだろう。
そうやって、種の頂点は交代するのだ。
たぶんね。
だから締切前にならないと行動しないのは
自然による一種の破壊プログラムなのだと思う。

posted by ちゃぼ at 22:04| 東京 🌁| Comment(0) | 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月07日

情報にさらされる脳

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毎日スマホやパソコンで
濁流のような情報にさらされて、
頭はそれを右から左に流すことに慣れてきている。

どんなに大量の情報をインプットしても
それを咀嚼できなければ意味はない。
「知る欲求」を満たすためだけの情報収集はだめだ。
新しいニュース、新しい刺激を求めても
それはただ知っているだけだ。
考える力をどんどん使っていかなければ。

一週間前の事件さえ、すぐに風化してしまう。
リアルが薄れていく。

posted by ちゃぼ at 18:26| 東京 ☁| Comment(0) | 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月25日

怒りは生存を脅かされることから

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動物が怒るときは
その生存が脅かされる可能性があることについてである。
怒るのは自分が脅かされるから。

人間の場合は知恵があるため、
「生存=自分の正当性」となっている。
動物は自殺しないけど
人間は自分の中の「自分の正当性」が失われると自殺してしまう。
人間が生きるには「生きていていい」という
正当な(世間の善悪とは必ずしも一致しない)論理の構築が必要なのだ。

ゆえに、人間も自分の論理(正当性)が間違っていることを
指摘されると、怒ったり怖くなったりする。
自分は正しくあろうとするのは自分の存在を肯定するためだ。

posted by ちゃぼ at 20:35| 東京 ☁| Comment(0) | 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月13日

相手の為の行動が・・・

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「相手のためになる行動をする」って、
言うほど簡単ではないんだよな。
相手のためにやったのに相手が怒り出したとか
相手のためにやったのに感謝されなくて腹が立ったとか
そういう例は巷にあふれていると思う。

相手の事も結局はこちらの主観で判断するしかないので
「自分が考える、相手のためにやった行動」と
「本当に相手のためになった行動」にズレが生じることを
理解しているかどうかが大きなポイントになる。

それはやっぱり経験とか、
相手の事をよく知ることが大切なんだな。あとは敬意。

posted by ちゃぼ at 20:40| 東京 ☀| Comment(0) | 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする