2017年07月26日

演技が上達しますように

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演技の上達について考える。
先週舞台が終わったんだけど、
稽古の最中、どうやったらいい演技が
出来るようになるか、ずっと考えていた。
でも、裏ワザはなくて、
結局いつも考えていることに落ち着く。

台本に書かれているシチュエーションを
どれくらい役として信じられるか。

これが第一。
それから、それを増幅しても
わざとらしくならない基礎能力。
発声と滑舌と、キレのある身体と。
あと客観性とか人生観とかいろんな要素が
あるけど、とりあえず置いといて。

台本に書かれているシチュエーションを
信じるっていうのは、簡単そうでできない。
無意識は意識の言う事を聞かない。
台本に書いてある感情になろうとして、
心に直接命令してもその気にはならない。

そこで多くの人は
疑似的な感情を持ち込む。
怒りに似た状態、
悲しみに似た状態を作る。
力を入れたり、息を吐いたりして
自分はその感情になっているのだと
思い込む。
それなら意識の命令で出来る。

でも感情とは由来が違うから
違和感のある演技になる。
役者がそうなりたいと思う時に
突然その状態になったりする。
力が入りすぎて
パワーが出なかったり
逆に不自然に強くなったりする。

本当に感情が動いている人と
そうでない人は明確に分かる。
日常でも観察力があれば分かる。

解消方法は
無意識に間接的に働きかけること。
「もし、本当にそうだったら。
 それが自分だったとしたら」
という想像力を働かせる。
無意識に直接アプローチすると、
誰かに見せようという意思が介入し
その瞬間に感情が動かなくなる。

posted by ちゃぼ at 23:11| 東京 ☁| Comment(0) | 演技論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月27日

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ただ、喜怒哀楽の感情が上手に使える、
っていうだけじゃなくて。情念が必要なのだ。
情念のある役者になってほしい。

我はこだわると我執になって厄介だけど
我がなくて、役の我をどうやってつくるのか。

我を立てると
俄然、批判も受けやすくなるけど
そこからしか役も立たない。

posted by ちゃぼ at 22:56| 東京 ☀| Comment(0) | 演技論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月12日

集中稽古のはじまり

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全体的に面白くなることはわかっていても、
それは一定のレベルは超える確信があるだけで、
その先の、どこで着地するかは未知である。

一定レベルを超えることだけが目的であってはならない。
それはある程度の技術があれば誰でもできる。
そういうことはすでにやってきた。
けど、役者の力で舞台を作り上げるってのは
そういうものではないだろう。
最後に一定レベルを超えれば及第点、じゃなくて。
出来る限り一定レベルはさっさと超えるべきだ。
もっと高得点をたたき出すために。

あとは役者として何を目指すか?
自分に何を課しているか?だ。
矜持の問題。

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2016年12月11日

どんどん成長する俳優というのは、

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どんどん成長するいい俳優というのは、
苦しいことはいやだとか、
うまくできない自分をこれ以上さらしたくないとか
コンプレックスを見せたくないとか
そういうことを乗り越えている。
うまくならない俳優というのは
自分の持っている自分像を崩すことが嫌いで
そのストレスに耐えられない。

その自分像が「ひとりよがり」の自分像なのか
芸術面で自分を支えるために必要な「矜持」なのか
吟味する必要がある。
そこを間違えると、ずっと間違うことになる。
よどみのない心で観察を続けなければ
ベテランでもまちがう。

もちろん、
「自分のイメージが一番効果的なんだ」
という自負を持つこと、
それをもとにアイディアを出すことは
とても大切なことで、
そこを最初から譲ってしまう俳優は
強い個性を持てない。

ただし表現には客観性が必要になる。
役者に勉強と経験が必要なのはそのためで、
自分のアイディアを形にする力と、
それがどれくらいの力と方向性を持っていて
どのような効果があるか、
それは作品の演出にふさわしいのか、
演出にそれを否定される場合、
なぜそうなるか。好みの問題か?
方向性の問題か?バランスの問題か?など
できるだけ正確に把握できないと
「自分が未熟だからダメなんだ」とか
「自分は嫌われているんだとか」とか
「あの演出は間違っている」とか
マイナスの思考の罠にはまりやすい。
結果、素直に演技できずに鈍っていく。

もちろん演出が間違っているのではないかと
感じるときは議論し、主張をする。
当然それにだって、お互いの見識が必要だ。


面白い作品で、いい演出家がいる、
そしていい役者がいる。
そういう舞台は面白いに決まっている。
各々が
いい脚本家であるか
いい演出家であるか
いい役者であるか
それは常に自問する。

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2016年10月23日

作為的な世界で、作為的ではない何かを。

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演じるってのは総合力だよな。
だから難しい。
どれか一つの能力が高ければ
それでオールオッケーとはならないから。

演技力が高いってのは
「演技が正確」という意味合いが強い。
演技が正確なのは訓練でそうなれるから、
その先の評価を望むなら、その先のものが必要なんだ。

俳優の総合力が高いと何ができるかっていうと
劇場の空気を動かせる。
大きい声が出せればいいとか、
感情的になれればいいとか、
そういうことだけではダメで。
ちゃんと、空気を、みんなを連れて行く。
お客さんを、出演者を。
劇場にあるすべての意思を引っ張る力。
それを持つ。それを出す。

いい役者はみんな勉強している。
「上手いね」ではなく
「本当に感動させてくれたね」と言われるために。

答えは簡単には掴めない。
誰かに答えを聞いて腑に落ちるものでもない。
自分の人生を使って照らさなきゃ、
自分だけの答えは出ない。

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2016年08月19日

芝居がうまくない人に求めることは一つ

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芝居がうまくない人に求めることは一つ。
せめて歯を食いしばって努力してくれということ。

うまくない芝居を、
お金を取って見せるのであれば
あとはその人がどれだけ根性込めて作ったか、しかない。
アイドル級にかっこいいとか
かわいいとかなら別だけど。
まあそれも、もし
アイドルが歯を食いしばって努力したら
勝てないってことだから。

本気出す覚悟を持たなきゃな。
本気を評価される覚悟を。
早くうまくなるしかないぞ。
いつまでも歯を食いしばるだけじゃ能がない。

posted by ちゃぼ at 23:40| 東京 ☀| Comment(0) | 演技論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月05日

バカを引き受ける人

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役者は人生修行である。
普通の人よりもたくさんの「実感」が必要になる。
そしてそれを具現化して、説得力を持たせなければならない。
そのためには圧倒的な想像力と肝が必要になる。
時にそれはまわりからバカと思われるかもしれない。

ところでわざと「バカを引き受けている」人を
役者なのにいまだに「本当にバカなんだ」と思っている人がいる。

バカを引き受けると、
引き受けたなりの要らぬ嘲りも引き受けることになる。
しかし、世の脚本を見よ。
すべてを見通した賢い人間など出てこない。
ほとんどが人間の愚かさゆえの悲喜こもごもである。

バカを引き受けられない人間は賢い人間でいたがる。
かっこ悪いところを見せたくない、見せられないから
役の本質を演じることができない。

どっちが役者として優れているかは一目瞭然である。
自分を守っているせいで超えられない、
見えない壁はそこかしこにあるのだ。

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2016年07月24日

その台詞の読み方は「言い方」を超えない

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「それは言い方(を工夫してるだけ)だよ」
と、台詞の読み方について指摘する事が増えた。

役作りをしてほしい、と注文したときに問題になるのは
感情さえ込めれば役として成立するという誤解である。
もちろん台詞に感情を込めるにも訓練が必要だけど
そこは出発点でしかない。

けっこう多くの役者が、
台本に書かれたひとつひとつの台詞に
「感情を込められるかどうか」を点検していき、
自分の気持ちと役の気持ちの矛盾点を潰し
すべて感情を込めることができれば
役作りは完了、と考えている。

感情は誰にでもあるが、
どんなこと(哲学、過去の体験)に反応して
喜怒哀楽が現れているか、
どのように現れてくるかは
人によって異なる。
そこに個々の性格、オリジナリティが出る。

多くの役者は、
役の気持ちではなくて
役者の気持ちを込める。
役の解釈じゃなくて
役者の解釈で脚本の世界を理解する。

そしたらどんな役をやっても
役じゃなくて「役者その人」だろ?

posted by ちゃぼ at 14:49| 東京 ☁| Comment(0) | 演技論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月10日

自分という素材

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役者はしっかり自分を見つめることが必要で、
コンプレックスに蓋をして変身願望で演技しても
ぺらぺらにしかならない。
役を、理想をもとにして作ることになるから。

自分とは素材である。
素材をよく知らないで、料理を作っても
おいしいものは作れないから。

posted by ちゃぼ at 09:20| 東京 ☀| Comment(0) | 演技論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月09日

役作り

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「役作り」とは何か?

たとえば、
自分と、自分に関係する人との今日一日の会話を
書き留めて、台本にしたとする。

その中に「お前はほんとバカだなー」という台詞があったとして
それが確かに相手をバカにするシーンだったとしても、
実は密かにその女の子の事が好きだったとしたら
台詞の言い方は絶対に変わるはずである。

でもそこらへんの役者は、そのシーンを見て、
相手がバカなことをやってるので、
単純に易々と罵ってしまう。

もしもその程度の解釈で
「自分」の役をやってる役者がいたら
そうじゃねええええ!!
あの子をバカにすんな!!!
なんでそんな言い方するんだよ!!!
あの子が傷ついたら!!きらわれたら!!どうすんだよ!!!
と、思うだろう。ホントに好きなら。

まあ、自分で書いた台本について、
大体おれはいつもそんな気持ちである。

「実はひそかに好き」などという役の情報は
端々に気持ちを忍ばせている事はあるものの、
「実はあいつのこと好きなんだ」とか
直接的に書いてあることはほとんどない。
ま、書かれてたら密かじゃないから。

まあ、なにしろ
その役が、相手のことを好きだとわかったら、
台詞の言い方は、ほとんど全部変わるはずだ。
あせったり、とりつくろったり、
笑ったり、怒ったり、
許したり、許せなかったりすることを、
字面で読み取るんじゃなくて、
役の欲と、葛藤から理解して演じる。

一日を通して会話を台本にしたとして、
自分が、自分でない部分などありはしない。
どの台詞も、因果がある。
環境に刺激されて「自分」が喋っている。
恋愛だけじゃない、その人間の思考、哲学、
過去の経験とその記憶、そういうものが
行動と発言に強く影響を及ぼしている。

それを、
台詞のひとつひとつを
役者の生理で上手に喋ろうとしても
ズレるのは当然である。
日常、人間を理解しようとするほどには
役を理解しようとしないのは何故か?
どうやったら演技がうまくなるかわからない、
と言っている役者はだいたいそれが抜けている。

posted by ちゃぼ at 10:50| 東京 ☔| Comment(0) | 演技論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月03日

線と点

ひとりの人生とは、途切れない線である。
その人がその人でない瞬間など、あるだろうか?
いや。ない。
記憶喪失になったり、
宇宙人に体を乗っ取られたりしない限りは。

ところが演技ではそれが起こる。
役が途切れ途切れになって、台詞ごとに人格が変わったりする。

行動はたった一瞬の「点」である。
その点は、ひとりの人生として「線」で
結ばれていなければならない。
ところがみんな、
点の瞬間を「上手に演じよう」として、
線のことを忘れてしまう。

お客さんに見られているのは
確かに、現在、今この瞬間という「点」だから、
そこに持てる技術をつぎ込んで評価を上げたがる。
その、本来役の心にはない欲によって
役は線から引き離されて独立した点になってしまう。
簡単な言葉ひとつだって
線となる人生がなければ喋れやしないはずなのに。

おれが寝起きで
「あ〜、あれしよう…」
って言う時には、

編集やらなきゃいけないけど、
一昨日もやるはずだったのが、
一晩中六本木で飲んでしまって
昨日だってほんとは少しはやれたはずなのに
ワークショップがあったり、
人と話したり、移動で疲れたり
やろうやろうと思って
やっぱりやれなかったな。
少しくらいやっとけばよかったかも。
でも明日放送だから
とにかく今日やってしまわなきゃ。
だって昼からWSオーディションがあるから
それで移動する時間も取られて、
体力も削られるし、そのあともしかしたら
公演のことについて少し参加者と話すかもしれないし
そしたら帰ってからで間に合うかわからないから
とりあえずいま片づけておくか。
はやく送らないと大西さんも心配するし
仕事できないやつだと思われたくないしな

という事が含まれている。
それが、
台本に「あ〜アレしよ…」と書かれているから
役者は簡単にあ〜アレしよ、と口にしてしまう。
アレってなに!
なぜしなきゃいけないのか。
なぜあ〜、という感嘆詞がつくのか。
疲れているのか、悲観しているのか、勢いをつけようとしているのか。
それが抜けていたら
俺の寝起きの「あ〜アレしよ…」は演じられないのだ。

たったこれだけの台詞でも選択肢は無限にある。

それを記憶喪失の状態で喋っても
台詞は意味を持たない。
ただ書かれた台詞に喜怒哀楽の感情を乗せただけでは
人生は表現できない。

posted by ちゃぼ at 07:45| 東京 ☀| Comment(0) | 演技論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月12日

クールに演じたがる人たち!

クールな人間は
欲に振り回されることがなくて
かっこいいよな。

でも演技でそれをやると
欲に振り回されることがなくて
葛藤が薄くなって、
役が何がしたいのかわからなくなって
結局、魅力がなくなる。
演じている本人がクールな人間に見えるという自己満足だけだ。

これはもう覚えておいてほしいんだけど、
芝居は葛藤が命!
役にやりたいことがある!!
それができないから悔しい!
だから泣く!怒る!
できたから嬉しい!
だから笑う!喜ぶ!
好きな人がいる!気にかけてくれない!
だからイライラする!皮肉を言う!
それが基本。
その感情の現れ方には役の個性が出るし
役作りが必要になる部分だ。

クールに演じる役なんてのは
脚本で配置されるパターンが決まってるから
こいつはクールに演じるんだなってすぐにわかる。
どっちか分からない時はクールに演じるな!

自己都合でかっこよく演じても
役の存在理由を満たすことはできない。

posted by ちゃぼ at 22:33| 東京 ☀| Comment(0) | 演技論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月10日

役作りの難しさ

演技論を言葉で説明するのも、理解するのも簡単である。
「人間」だから。
演技も、人間の感性を使ってするものだから
心理的に、あるいは物理的に説明すれば「わかる」のはある意味当然。
だって普段は「人間」として生きてるんだから。
言葉がやっかいなのは、言葉はいつも過去だということである。
なのに、これから起こることまでわかった気になってしまう。
未来はいつも未知だ。
未知の領域で何かを作ろうというんだからな。

言葉は、わかったような気になる。
それが罠だ。
どんなにいい演出家、優れた演技をする人に
どうやったらうまくなるかをどうにか聞きだして、
もしその言葉が理解できたとしても
それだけでイイ演技ができるわけではない。

言葉通りに演じることができれば苦労はない。
昨日はそういうことを実感するワークショップだった。
みんな疲れたと思う。俺も疲れたけど。

もう芝居ってやつは自分のすべてをぶっつけて
取り組まなきゃ何も生まれないんだから
集中力とエネルギーがなきゃやれない。
そういうものなんだ。
何もないところに創造していくって仕事は。
ゼロに1をぶちこんでいく作業は。

言葉の世界から現実の世界にイメージをあらわす。
強い精神力と、表現を通すための整えられた体が必要だ。

posted by ちゃぼ at 18:22| 東京 ☀| Comment(0) | 演技論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月14日

演技に正解はないなら何をやってもいいのか

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演技に正解はない、という。
じゃあ何やったっていいのか、というと違う。
間違いは存在する。

例えば飛行機を飛ばすにはたくさんの条件がある。
機体も条件を満たしていなければならないし
パイロットも訓練されていなければならない。
機体を水平に保つ技術や高度を調整する技術もないのに
何やったっていいなんて誰も言わないだろう。
墜落する。

役者も似たようなものである。
飛べばいい。
飛んで、台本に書かれたところに着地してくれればいい。
どのくらいの速度か、どんなルートを通るかは
演出の指令を優先するものの、操縦者に自由がある。

ただ、整備していない機体、
飛ぶ技術があやういパイロットでは、
たどり着くどころか、飛べない。
飛んでも墜落する。
実際にフライトが始まったら補助なんてできない。
訓練の段階で必死にやるしかない。
それが基礎である。

そうしてまともに飛べるようになって、
そこからは正解は自分で探せばいい。

posted by ちゃぼ at 09:24| 東京 ☀| Comment(0) | 演技論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月07日

自分の声と録音の声

声優にとって、
「声で遊ぶ」っていうことは結構大切だと思う。
駆け出しの頃はごっこでもいいんだけど、
とりあえず自分の声を聴いてみないと始まらない。
録音を再生すると、
「こんなつもりじゃないんだけどなあ」
ということの方がはるかに多い。
プロでもそういうことはある。

だから何度も繰り返しやって、
「自分がこうやってるつもり」と
「実際に聞こえる声」の差異を
無くしていく努力が必要だ。
たぶん声優になる人はそういうのが好きな人だ。
自分の声で喋る、聞く、もっとやってみる、
ということが、苦にならない。夢中になれる。
それが自然と遊びになっている。

声優は舞台よりも
音のクリアさや、音階や、リズムなど
声のコントロールをきっちり求められる。
その点では少々、歌に似ている。

posted by ちゃぼ at 09:21| 東京 ☀| Comment(0) | 演技論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする